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大切にしていること

大切にしていること

土台づくり(乳幼児期)

人間はいきなり大人になれません。長い年月を経て、生活者として自らの考えに基づき行動する“生活の主人公”として成長してゆきます。 そのためには3歳未満児までの育ちは自分の感情をしっかり出させるようにします。(大人の価値判断で感情を抑えることはしません)快、 不快という単純な感情から、やがて嫉妬、やさしいなど複雑な感情が芽生えます。ここでもお分かりのように、 必ず相反する感情が同時に芽生えます。やがて、この感情を手がかりに“自分は何者?”という問いかけと同時に大人を試してゆく「わがまま」 とも思える“だだこね”が始まります。 大人は子どもを“だだこね”の世界に閉じ込める(果てしなく付き合う状態, 又は強制的にダメだしをする状態は子どもを不安にさせるだけ)のではなく、その子自身が確かめてゆく“だだこね”イコール“不思議な世界” の案内人として、無限大に広がる道を案内してゆく必要があります。 子どもの成長は日々蓄積されてゆきます。また、 成長とは一直線に進むのでなく、螺旋上に登ることによって、身につけてゆくことが出来るといわれています。だからこそ、 子どもの成長に付き合うことは、愛情とプラス部分が必要になります。一口に道案内役といいましたが、これには、得意とする人、 不得意とする人がいてもおかしくありません。得意とする人の中に保育士も入るのですが、そういう人たちと一緒に道の案内役をしてゆくことは、 プラス面を限りなく広げることにもなります。 私たちは、人間として生まれた最初の葛藤“だだこね” の先にはステキな世界があることを知る第一歩になるよう、みなさんといっしょに、上手な付き合い方を探りながら、 子育ての楽しみを共有してゆきたいと思います。

その1  快・不快を実感できる体内リズムを

乳児期は自分の感情をストレートに出せるような育ちが大切です。 その中身は・・・・快、 不快という単純な感情を読み取る大人がいるから、安心して自分の感情をストレートに出せ、やがては、暗くなると眠くなり、 明るくなると脳が活発に働くという体内リズムが刻まれてゆきます。この繰り返しは、自分の感情を抑制、また、 逆に活発に働かせるホルモン分泌のバランスを促します。最初から快、不快という単純な感情(睡眠、食欲、排泄、寒暖など) が大人から理解されないと脳の働き(体に指令を発する神経系統)に少しズレを生じながら育ちます。でも、 どこかで修正されてゆくのが人間です。しかし、今日はここが相当困難になってきることは確かです。なぜなら、 大人の生活が夜型になっているからです。従って、赤ちゃんも大人のような生活リズムを送ると、体内時計が正常に作動しない(快、 不快が混沌とする状態)まま生活を送ることになります。こうなると、大人は子どもの“泣く” 行為が何を訴えているのか分からない状態になります。乳児期は快、不快をわかりやすく大人に伝えられるようにするために “体内リズムを整えてあげることが大切だ”と考えている理由です。 やがて、“自分の体内リズム”を刻んで行くと、大人からは 「わかりやすい子」と映り、子どもからは「感情をストレートに出す心地よさ」を実感(安心感)します。そして、 感情に沿って行動した結果の先を見るゆとりがうまれます。この“ゆとり”は“人を理解する力が育つ” 土壌を豊かに耕す役割を果たしてくれる優れものです。 “体内リズムを整え、自分の感情を基盤にして育つ”ことが大切なのは、 自者と他者を認識できる力、それが、自分の考えを鮮明にしながら、他者の考えも聞くという力につながり、やがては、生活してゆく“主人公” としていきてゆく大人になると考えているからです。

その2  子どもの伸びようとする芽を育む

自分の感情を基盤にして育つ”“子どもはのびのび育つ”皆さんは、どのように解釈しますか?当然、解釈はさまざまでしょう。  私たちはこのように解釈しています。子どもの成長は階段のように上に延びるようになっております。しかし、ジグザグ路線です。どうして、 一直線に発達の階段を上らないのでしょう?これは、上れないからではなく、成長するために上らないようにしているのです。 3歳くらいになると綿に滲みこむように物事を覚えてゆく力が育ちます。そこで早期教育が生まれました。しかし、大人になったとき、 役に立つかというとそうとは限らない、むしろ後退してしまうことがわかってきました。子どもの未熟な脳は暗記を強化すると、他の脳(認識、 理解など)は活発に働くことを遠慮してしまいます。例えば、コマーシャルなどはすぐ脳に記憶されるようにできています。だから、 子どもたちもすぐ言葉を真似します。それが、どういう内容であるのかを聞かれると答えられないことが多いでしょう。それは「わかる」 にはならないのです。「わかる」には何回も自分で試してゆくしかないのだということです。自分で試すということは、 よい結果だけではありません。失敗もたくさん経験します。また、大人にとってもイライラすることでもあります。 私たちは、 教え込むのではなく、自ら試したくなる、挑戦したくなる芽をどの発達段階でも最優先させてゆきます。そして、 子ども自身が試したくなるよう心を砕くのは、将来、自らの意思でやりたいことを見つけてゆく大人になってほしいからです。 成長するとは挑戦してゆく子どもの姿です。そこには、失敗も有りです。保育室は何回でも挑戦でき、体験を通して実感し、 友達や大人の存在を認識してゆくプロセスを太くするためのバックボーン的役割を果たすことが、 子どもの伸びたい願いに応える道だと考えています。

その3  探索活動を豊かに(好奇心を育む)

子どもはいつも“なんだろう”の不思議な世界を歩いています。ここでは2,3歳の子ども達が“これ、なーに” と質問攻めを保育士にしています。基本的には質問してくることは歓迎なのですが、保育士たちは質問の内容を見定めながら、時には“もう!” と拒否の姿勢(保育士の注意を自分に集めるための手段として使うことが多いときなど)を示したりしています。 好奇心は無鉄砲と表裏一体で進みます。なんでも、“危ないから”と規制だけをすると、 いろいろなことに関心を示さなくなる恐れもあると同時に“好奇心があるからいいのよ”と“制止”を怠たると、 危険に対する認識が育たなくなるなど、どちらか極端に傾いた対応は、結局は育ちつつある好奇心の芽を摘んでしまうことになりかねません。 その子の年齢と力量にあわせながら、“なんだろう”の不思議な世界を子ども達と楽しみながら、共鳴、共感、共有してゆきます。 好奇心は表裏一体で進むといいましたが、人間は長所であるところは、必ず短所でもあります。大人になったとき、 その表裏のどちらを輝かせるかは本人次第です。その基礎を培う乳幼児期だからこそ、大人たちの意識的な働きかけが必要です。 室内では日常生活用品も含めた魅力的な玩具(魅力的玩具の追求が必要)を用意し、室内配置を工夫しながら、 子ども達が自ら試したくなるよう援助してゆきます。戸外では自然や起伏の富んだ場所などを通して、自然界には魅力的な世界 (危険も隣り合わせにある)があることを、体験を通して認識できるよう働きかけをしてゆきます。 自らの行動を通して・・・ 毎日の生活を通して、日中は活発に脳が働くような生活リズムを整え、体験を通して実感できる日常生活を通して、未知への興味、関心、 好奇心が育まれ、同時に危険を察しする力も育つという、バランスの取れた学童期へと成長できるように援助してゆきます。

その4、コミュニケーションを豊かに(考える基礎を培う)

みなさんは、メジャーリーガーの野茂投手をご存知ですか。彼はマスコミに対して、勝敗に関係なく言葉少なく、 表情はあまり表にだしません。これについては賛否両論があっていいのですが、「寡黙だからステキなのよ」派は野茂投手が野球大好きで、 プロに徹している姿を認めているからでしょう。これは、彼自身の行動(実績)を通して分かる姿です。コミュニケーションとは言葉だけでなく、 態度、行動を通して、相手に理解してもらう唯一の手段だということがいえると思います。 乳幼児期には行動を通して言葉を獲得してゆきます。 言葉を獲得した子どもは大人とのコミュニケーションに、言葉の威力を確かめてゆきます。例えば、誰かが「ばか」 と言う言葉は相手を攻撃する手段として有効だと理解したとき、盛んに使用します。時には、保育士に対しても“ばか” という言葉を使用する子もいます。大人は「“ばか”はだめでしょ」と反論することは出来ます。でも、そのとき、 保育士とその子の関係がギクシャクしていた場合は、さらに、エスカレートさせる“攻撃時に使用する言葉”となります。そんな場合は逆に、 にこにこ笑顔で「ばかってなあに」と言ってみると、その子は逆に“言葉”の威力を失っていまします。 乳幼児期の言葉は感情を伴いながら獲得してゆくのが特徴です。感情がストレートに言葉として発信されることが多いからです。 伝達手段としての言葉は、相手に伝えたいという意欲がなければ出てきません。例えば、“あ、い、う、え、お”と発音させて教えたところで、 言葉はでてきません。生活の中で体を十分に使いながら、伝えたいことがあるときに、態度と共に、聞きなれた単語が発信され、 それを大人がきちんと聞き、意味づけをするから、さらに使用するという相乗効果を生みながら、獲得してゆきます。 言葉に威力があること知った子はさらに言葉を重ねながら大人を確かめます。しかし、言葉は伝達手段ではありますが、 物事を理解してゆくための、すべてではありません。そこで、物事を総合的に理解する力量を身に着けてゆくためには、体験をくぐりながら、 実感したことを言葉に置き換え、物事を理解してゆくことが、大人になってゆくプロセスではとても大切な第一歩です。

その5  対人関係を豊かに育む

最近、大人たちの関係でも、お互いに理解しあいながら仕事をすることは非常に難しくなっています。人間は本来、小さいときから、 たくさんの人たちの中で成長してきた社会でしたが、最近、小家族、 小集団の中で大人に成長してきた人口が多くなってきたこととは無関係ではないように思われます。また、 携帯電話やインターネットの普及などで、お互いの顔を見て感情を受け止めながら、コミュニケーションをとるのでなく相手の顔を見ないで、 一方通行のように、コミュニケーションを取り合う、どこか、不自然な関係が成立してきたところにも大きな落とし穴があるように思います。 人間は本来、相手の表情や態度で、臨機応変に対応できる力量を培ってきました。人間の“群れる”ことで、教科書で学ぶ“みんなと仲良く” ではなく、喧嘩もするけれど、仲良く出来たら、もっと楽しかったという実体験をしながら、お互いの気持ちを理解できる力を培ってきました。 昔の地域社会の役割を保育室が担える試み保育園(保育室)のように横につながる小集団の中で、 子どもたちは親の前で見せることのない姿も垣間見せながら、“群れる”という本能の世界を形成してゆきます。 始めて赤ちゃんに接した子は戸惑いと同時に好奇心から相手を叩くなどの行為を示しても、その行為は「優しい目」 へと変化してゆくことを見てきました。言葉で「やさしくね」と教えるより、実際の赤ちゃんを目の前にして「わかる」体験の積み重ねが本物の 「わかる」に変化してゆくのです。 同年齢の子どもたちとは競争相手でもあります。しかし、 それだけでない第3の世界があることを学ぶのが異年齢社会です。昔、遊ぶ群れの中に必ず異年齢社会がありました。その中に自分より小さい子、 大きい子の存在があり、自分と比較できる対象は多様にありました。そして、地域の人たちからも誉められたり、叱られたりしながら、 どの子も自分を発揮できる場面が多面的に用意されていました。 昔の地域社会がすばらしかったとは言えませんが、少なくとも、 親以外の目線も注がれながら、子どもたちは自分の存在を確認してゆくことができたのです。そして、群れる本能のままに異質な存在を実感 (認める)しながら育つ基盤がありました。しかし、今日、意識的に大人が用意してあげる必要があると痛感しています。 保育室は人間の本能である“群れる”を大切に育みたいと思います。

その6  生活の仕方を学ぶ

毎日の繰り返しから、その子の発達段階に応じて自分のできることを着実に身に着けてゆくことを大切にしてゆきます。 着実に身に着けて行くとは・・・子どもの発達はたとえば、洋服のボタンがはめられたからといって、 どんな場面でも確実にできるとは限りません。幼少期は手の操作が未熟で、完全に獲得するためには時間とそこに心が向くエネルギーが必要です。 ここにちょっとしたトラブルや気分が重なると当然「できない」になります。特に身近な大人を試したくなると「できない」 と拒否の姿勢を示したりします。大人になれば、どんなに嫌なことがあっても「できない」とは言わないでしょう。 それは完全にボタンをはめる動作を獲得しているからです。幼少期はジグザグに成長するとお話しています。 保育園(保育室)でいう着実とは・ ・・ “一度できた”ことを後退させないというのではなく、“自分からやってみたい””できたことを一緒に喜ぶ“などなどを通して、 身に着けてゆくプロセスを大切にしてゆくということです。子どもが自分から”やってみたい”と思えるような環境を整え、そして、 意識的働きかけをしてゆくということです。 生活の仕方を身に着けてゆく大切さとは・・毎日の繰り返しの中で、 子どもは次に何をするのかということがわかります。例えば、「散歩だよ」 と言うと発達段階で反応は違いますが帽子をかぶってゆくことを大人に示します。これは大人の指示待ちだけでなく、 自分で行動してゆく芽が育ちつつある姿です。しかし、これが眠い、空腹または、イライラした気分等の場合、大人の簡単な指示がわからない、 大人が動くだけで不安などなどパニックになります。これは“自分に自信がもてない”という基礎を築きかねません。 どの子も自分に自信がもてる基礎づくりをしたいと考えています。これは、生活者として主人公になってゆく第一歩です。

その7  心も育てる食生活を豊かに

生まれたばかりの赤ちゃんは母乳(ミルク)の量が気になります。少ない場合は一生懸命飲ませようとします。これは、 小さいが故に大きく育てたいと願うからです。でも年齢を重ねると、大きくなったと実感できるのでしょう。また、別の方面での心配が増え、 食事に対する熱意は薄れてゆくようです。 食は心を育てる側面に注目が集まっている。今、親になっている人たちの幼少期はバブル期でした。 食品が店頭にあふれ、どの人の嗜好にも合うような添加物が研究され、私たちの舌は添加物の混入した食品をおいしいと思うようになりました。 その頃、同時に経済成長を支えてきた親たち(現在は祖父母)は馬車馬のように働き、子どもの食品を選び、 心を込めて家庭の味を食べさせる時代は遠のきました。そして、顎の筋肉が発達しない子ども人口が増え、 食べ物を飲み込む子の問題がクローズアップされました。 ところが、最近、 食と心の育ちは密接に関係していることが研究者によって発信されています。たとえば、顎の筋肉と脳との関係、 朝食を摂取しない子と摂取している子の比較、夕食を家族で食べない子と食べる子の比較などから、見えてきたことは心の問題でした。これは、 現代社会が抱えるストレスの多さから食事をゆったりした気持ちで食べることができなくなったことへの警鐘だと思います。ただ、 朝食抜きとか夕食は家族で食べないという問題だけでなく、 食事という営みが生活の中心から消えてしまうような社会的ストレスが起きていることに注目してゆく必要があるのではないでしょうか個人的努力だけでは取り除けない社会的問題を含んでいることを直視しながらも、 子どもたちが“お腹が空いた”と脳に指令がゆくような生活をさせてあげたいと思っています。 アレルギー児に対応するために 食物アレルギー問題の研究は10年単位で大きく変化してきました。 以前は卵、牛乳、大豆が3大アレルゲンでした。現在では大豆に代わり、輸入小麦粉です。特に有機リン系殺虫剤が混入され、 これがアレルギーを引き起こしていることがわかりました。しかし、パンだけではなく、カップラーメン、乾麺、などにも残留されています。 アレルギーを悪化させる化学物質である油脂中に含まれるダイオキシン、DDTなど油脂性環境汚染化学物質、 有機スズ化合物の摂取を減らす方法を考える必要があるといわれております。 魚介類の中にも、 性ホルモンをかく乱する物質が含まれていることもわかっています。たとえば、汚染されない安全なお米を食べても、 汚染された魚や卵など一緒に食べると、お米のアレルギーを起こす可能性が高いそうです。 このように調べてゆくと安全な食品など存在していないのではないかという恐怖に陥ってしまいます。 アレルギーを引き起こしにくい食べ方はあるのでしょうか基本は、お米や煮た野菜、野菜の汁物を中心にした和食です。 日本人が昔から好んで食べてきたものが、今見直されてきています。なぜなら、日本の風土にあった食材こそが、 日本人の体に適応する食べ物だということが言われ始めています。心身ともに健康な体をつくるために、ここでは献立も和食中心です。  アレルギー児も自分の可能性を高められる環境作りを心がけますアレルギー反応は体によくないキャッチ、信号なのです。それを受け止め、 その子の食生活を見直すことが必要です。そこには,皆と同じ食べ物を食べないとかわいそうというのでなく、 その子自身が食べられる食物を用意しながら、それを認めてゆく事が出来る環境を用意したいと思います。

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